達人のエピソード
達人のエピソード
【達人のエピソード 1】
つい先日、テレビを見ていて驚きました。達人自身がご自分の過去の悩みをお話になっていました。私もHPSのカウンセリングで、その悩みも伺っておりました。元ミュージシャンだった事、聴覚神経を患って失意のどん底の中にいた時、朝顔の花とツルの巻き方を見て、気付きを得たお話等々。そして「今、世界があっと驚くような企画を考えている。近いうちに、ある企業と提携して発売する予定」との相談でした。つまり未来の事を知りたい・・・。そこで療法として、ハイヤーセルフから右脳意識の助言を受けて安心してお帰りになりました。あれから3年、彼の創造するゲームの宇宙は「妖怪の刻の世界」を越えて、どこに向かって広がって行くのでしょう。
【達人のエピソード 2 】 ー少年と犬ー
東京が焼け野原になって誰もが貧しかった頃、近所の空地にトタンで作った小屋に住む兄弟たち(中学生と小学生)が、外の水道で(家の中に水道はない)茶色の犬を洗ったりしているのを少女の頃、通りがかりによく見かけました。
その後少年たちは神社の夏祭りでも射的の手伝い?をしていました。そんな彼らを見て、あの子たちは学校は?と一寸気になったことを憶えています。
それから長ーい年月が経ち、私も幼い孫たちにせがまれて、池袋のナンジャタウン(屋内型テーマパーク)に遊びに行って驚きました。
ゲームと遊びの真ん中に昔懐かしい原風景があり本当に感動しました。少女の頃の神社のお祭りの風景、綿アメ、おみくじ、それに射的まで揃っていたのには感動しました。
そして、その感動を昔の友人に話して判ったのですが、ナムコナンジャタウンは、あの中村さん兄弟!少年たちの会社だったのです。
今は個人を越えて世界の〝namco〟です。ゲームから工業迄の世界のnamco「中村さん兄弟」です。私の少女の頃の記憶では、戦後の夏の日、茶色の犬を洗っている裸んぼうの二人の少年が今でも住んでいます。
【 達人のエピソード 3 】 ーマージャンと仲間達
人生は「自由と障害」のバランスの上に「目的と行動」が必要。という数式が成り立つ「右脳的達人」のエピソードです。
1960年代「東京オリンピック」が開催され、続いて「大阪万博」など、それまで貧乏だった日本が成長期を迎え、私の父でさえ葉山にアトリエを持つ事が出来るようになった頃のお話です。
日本橋のある老舗のストアの画廊部にかかわって父は月々の画料を頂いていた時がありました。そこの社長さんの悩みは大学を出てからマージャンに明け暮れる次男さんの事だったそうです。その息子さんが、ある日突然会社を興したのです。マージャン仲間は徹夜が得意。そこで若い仲間達と警備会社を起動したのですが、信用を得られず仕事もなく困り果てた結果、右脳意識に目覚め、上野のアメ横で自衛隊の中古服を購入、警備会社の制服にして何とか仕事を続けている様子。親としては何とも頼りない息子の仕事。長男と一緒にストアを継いでくれたらいいのにと社長がおっしゃっていたとの事。生前の父から聞いた話です。
そして、その頼りない次男さんがマージャン仲間と起業した警備会社、その名は「セコム」です。
今までの右脳意識の達人達のエピソードは、あまりにもびっくり!しすぎましたが・・・現在、注目を浴びている「若い達人」のお話をしたいと思います。
【 達人のエピソード 4 】
20数年前、私がアートスポット「ふるふる」というギャラリー兼イベントハウスを営んでいた時の事です。
上野の芸大や音大に近いせいか、絵画の展示の他、コンサートその他のイベントなど、いつもにぎやかに人が集まる店でした。そこに大人の人に連れられて、時折15、6歳の男の子が一人来店するのが不思議でした。
テレビ関係の人達みたいな、アイドルみたいな風情の男の子が何故か楽しそうに大人に混じって時間を過ごしているのが不思議でした。その若すぎる客に声もかけられず、その不思議な男の子を眺めているだけでした。
その後、その不思議な男の子とはテレビの中で会うようになりました。すっかり成長した彼は、とても魅力的でブラウン管の中で、時代劇や連続ドラマの主役になっていました。そのすっかり成長した彼の姿を見るにつけ、エールを送っていましたが、先日、堀北真希さんとの結婚を発表して益々男らしい姿を見せてくれました。私の孫のように愛情すら感じさせてくれる若い達人「山本耕史さん」に「ありがとう!」と感謝しています。